遊技くぎ問題への社会学的アプローチ(遊技通信2016年4月号より)

昨年来の遊技くぎを巡る一連の出来事を、少し違う観点からみることはできないものかとバックナンバーをめくっていたら、気になる寄稿を見つけた。
 
ある警察OBの方が本誌に寄稿してくれた「遊びの勤勉性」と題する一文で、日本人が持つ勤勉の精神が遊び中にも活かされているという内容だ。スロットマシンやルーレットが偶然性の勝負であるのに対して、パチンコやパチスロは遊技者の技術が介入する遊びであることはよく指摘されることだが、そこからさらに考察を重ね、パチンコとカジノにおける「技の在り方」の対比、さらには時代の変化によって「遊びの在り方」も変わっていくことなどが記されている。
 
たしかに、パチンコ・パチスロを支えているのは「日本人の勤勉性」かもしれない。しかし、この勤勉性は時代とともに変化するもので、寄稿でも「業界が『時代の流れの中での社会の要請に、どう応えていくか』が問われ続けることとなる」と指摘している。 
 
そういえば、昨年来の一連の出来事について、「パチンコ」がどのような遊びであるのか、あるいはあるべきなのかという視点には、ほとんど接していない。個々の店舗や企業からそうした声を発信することは難しいかもしれないが、これだけある業界団体からも何も聞こえてこない。まずは事態の収拾に奔走するのは分かるが、現場で日々行われている遊技くぎの取扱いに対する担保はいつまでたっても棚上げ状態で、明らかに議論を避けている。
 
各種の法令を厳格に運用されると、何を言っても通じないという諦めがあるのかもしれないが、法的に危うい状態で業を営み続けること自体にも、もはや限界があるのではないか。

さらにいえば、このままではパチンコになぜ遊技くぎがあるのかという本質を失ってしまうのではないかという危惧もある。
 
そもそものパチンコ遊技の魅力を挙げれば、遊技球の動きがもたらす面白さや、入賞口に入って賞球が出てくる快感・達成感といったものがあり、その魅力を演出するのが遊技くぎの存在である。プレーヤーは運に任せたり、あるいはちょっとした技術を介入させてなんとか自分の思い通りに球を入賞口に導こうとするが、遊技くぎがあるため、そうそう上手くはいかない。
 
パチンコは長く、そうした遊びであり、醍醐味であったはずである。しかしここしばらくの間で、パチンコはこうした要素をどんどん削っていき、偶然性が強い「絵合わせ」といわれる遊びに変わってしまった。
 
冒頭に紹介した寄稿は、「勤勉性の価値観が無くなり、あるいは極度に低くなっている時代の流れのなかで、パチンコ・パチスロ産業はどう変化させていくべきであろうか。長期的視野を持つべき経営者にとっては、大きな課題に違いない」と結ばれている。十年以上も前の指摘だが、時代の変化を先読みしている。
 
遊技球と遊技くぎそのもので面白さを追求できなくなったのは、「勤勉性の価値観が無くなり、あるいは極度に低くなっている時代」だからなのかどうか。しかし、それを見失ってもまだ「パチンコ」といえる遊びなのか。
 
この数年来、カジノ合法化に引きづられて射幸性の観点から議論の俎上に載せられたり、あるいは法的な解釈や経営効率で語られることが多いが、社会学的な視点から遊技くぎの在り方について考えてもいいのかもしれない。

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