2022.10.21

人間ドラッカー超入門④  世に送り出したのはチャーチル

今回は、ピーター・ドラッカーがロンドンからニューヨークに移り住んでアメリカでの最初の著作を刊行するまでの、数年間に焦点を当てて紹介することにする。

1937年正月に結婚すると同時に勤めていたフリードバーグ商会を辞めたドラッカーは、妻ドリスとともに未来志向の国アメリカに渡り、ニューヨークでの新生活をスタートさせた。ナチスがオーストリアを併合する一年前のことだ。ドラッカーの両親や弟もナチスの難を逃れ、アメリカに移り住んだ。父親はノースカロライナ大学で国際経済の教授となり、弟はドラッカーより半年早くニューヨークの病院で研修医として働いていた。

ドラッカーのアメリカでの新生活はかなり恵まれたものだった。「フィナンシャル・タイムズ」をはじめ、英国の大手新聞社と米国発の記事を書く契約をしていたことと、妻のドリスがロンドンでの勤務先のニューヨーク代理人になるとともに、市場調査の会社を設立したからである。しかし、ナチスの動きからして第二次世界大戦の勃発は避けられない情勢になっており、やがて英国の新聞社との契約は打ち切られることが予想された。そこでドラッカーは、アメリカ国内だけで生活基盤を作るべく新聞社への売り込みを始める。アメリカに渡って一年、ナチスドイツがオーストリアを併合し、いよいよ大戦前夜となったちょうどその頃、ドラッカーは手始めに「ワシントン・ポスト」に、欧州の担当記者としての売り込み目的で、抜き打ちの訪問を行う。すると幸運にもいきなり社主のユージン・マイヤーと面会でき、その二時間後に契約金と契約書を手にすることができた。フリーランスの書き手として米国デビューに成功したドラッカーは、同じ方法で全米最大の週刊誌サタデー・イブニング・ポストとの契約にも成功する。

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