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- 人間ドラッカー超入門⑤ 雑誌王に学び組織に目覚める
今回は、ピーター・ドラッカーがアメリカでの最初の教鞭につく1939年からの数年間に焦点を当てて紹介したい。
ドラッカーの最初の著作である「経済人の終わり」が出版された1939年、ドラッカーはニューヨークのサラ・ローレンス大学で講師のポストを得た。米国における最初の教職であったが、この大学の教授陣にはソビエト共産党のシンパが多く、ドラッカーにとってはあまり居心地の良い職場ではなかったようだ。ヒットラーと戦う英国への支持を訴えた学長を、多くの教授陣が批判する中でドラッカー一人が学長を擁護したことから反感を買い、最終的にそれが理由で講師を解任されることになる。結局、サラ・ローレンス大学には2年間籍を置いただけだった。
ドラッカーにとっては、むしろ同じ時期に関わった雑誌王ヘンリー・ルースとの仕事の方が思い出深いものとなった。ルースから雑誌「タイム」の編集者の誘いを受けたドラッカーは、一度はその依頼を断ったものの、ルースからの熱烈なラブコールと、期限付きであるという条件に動かされて1年後に再びルースから2カ月の期限付きで雑誌「フォーチュン」の創刊10周年記念号の編集責任者の依頼を受けることになる。ここでドラッカーは、ルースが開発した「企業ストーリー」(「企業のために」書くストーリーではなく、「企業について」徹底的に調査・分析して書く、いわゆる調査報道の元祖と言えるものだった)の取材過程に、編集責任者として関わることになる。この創刊記念号で取り上げた企業はIBMだった。
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