2023.8.2

65年前にもあった「遊技業法の立法化案」

弊社の祖業は、1951年10月に遊技業界向けの初の専門紙として創刊された「遊技通信」である。これを立ち上げた伊藤重男(現経営者である伊藤實啓の祖父)が記した『業界雑記帳』という書籍が社内に残っている。奥付を見ると昭和32年(1957年)12月とあるから、約65年前のことだ。

ピーク時には4万店舗以上あったとされる遊技場が、連発式禁止令によって4分の1の1万店舗を一気に割り込み、業界全体が壊滅的な打撃を受けたのが1955年。その2年後に発刊された『業界雑記帳』を読むと、遊技業界が社会とどのように折り合いをつけて存続を図っていくかが、当時の課題であったことが分かってくる。逆に言えば、そうした一連の作業を怠ったがゆえに、連発式禁止の憂き目に遭ったことが窺える。

連発式禁止令というと、どうしても遊技機の射幸性だけが問題視されたように考えがちだが、遊技機単体としての射幸性だけでなく、いまで言うところの賞品流通の問題という側面もあったことを忘れてはならない。当時は遊技客から景品を買い取る「バイ人」が存在していたのだが、遊技機の射幸性が上がって賞品を大量に獲得できるようになり、アンダーグラウンドのバイ人によって現金化されるようになったことが、社会的に問題視されたという背景がある。

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