2024.1.15

求められるのは「常識を疑う」こと

「常識を疑う」ことを繰り返したのが、元プロ野球選手の桑田真澄氏である。氏によると、現役時代にコーチから指示される内容が腑に落ちなければ、納得できるまで尋ねるか、あるいは指示内容に従わなかったという。現役引退後には早大大学院に通って科学に基づいた方法論を身につけ、若手プロやアマチュアの指導に携わっている。

桑田氏のことをメディアで知ったわけだが、50代半ばの筆者が中高生の頃(硬式テニス部だったのだが)、スポーツ活動が根性に基づいた非科学的な指導によるものだったことを思い出した。基礎体力をつけるという目的なら分かるが、目的もなにも告げられず、とにかく走らされ、腹筋や腕立て伏せをさせられた。同級生の誰かがミスをすれば連帯責任で罰を与えられるのも、真夏の炎天下で水分補給も取れずに練習させられるのも、日常茶飯事だった。

「こんなことで上手くなるはずない」と思った筆者は、学校の部活をサボることにして、地元のテニスクラブへ入会した。カネはかかるが、ラケットを振ってボールを打つことができ、とにかくテニスの技術をたたき込まれた。ちょっと自慢めいて申し訳ないが、大半の同級生よりも速いスピードで確実に上手くなり、大会に出てポイントを稼ぐことができるようになった。「テニスが上達したい」という個人的な欲求を満たしてくれるのは、非科学的な指導(学校の部活動)よりも科学的な指導(テニスクラブ)のほうがだったというわけだ。

「常識を疑う」をビジネスに当てはめてみると、「成功体験を疑う」となる。あるいは「時代や環境の変化に対応できているのか」でもいいかもしれない。企業が存続し、業界が繁栄したということは、なんらかの成功体験がそこにはあるが、その成功体験がなんらかの足枷になることは、歴史が示している。

では、過去に大きな成功を収めている遊技業界では、「成功体験を疑う」ができているのだろうか。参加人口の減少や市場規模の縮小が続いている遊技業界だが、「なぜ参加人口が減少しているのか」や「なぜ市場規模が縮小しているのか」を主体的に捉えた言説をあまり目にしない。言い方を変えれば、結果としてそういう現象が起きているかを説明することはあっても、増加や拡大に向けた施策構築のベースとしての言説を見聞きしないという意味である。自分たち業界関係者が「遊技機や遊技場になにを求めたいのか」や「遊技機や遊技場でなにをしたいのか」を考えなければならないし、そもそも自分たち業界関係者が欲しい(したい)と思わない遊技機や遊技場を顧客が買ってくれるはずもない。だからこそ、遊技業界を取り巻く各種数値は長年にわたって低迷してしまっている。冒頭で桑田氏を取り上げたので野球で例えれば、失点の原因はホームランを打たれたことではなく、連続してエラーをしたことによるとなるだろうか。

では、遊技業界の「未来はどうなるのか?」と考えたいところだが、「未来をどうしたいのか?」あるいは「どんな未来を作りたいのか?」といった風に、主体的に考えたい。ビジネスモデルの視点から捉えるならば、以下4点が欠かせない。

(1)ターゲット:狙うべき相手・顧客は誰なのか

(2)バリュー:ターゲットにどんな価値を提供するのか

(3)ケイパビリティ:ターゲットにバリューをどう提供するか

(4)収益:対価とコストは見合っているか

これを読まれている方々からすれば、当たり前と思われるだろう。顧客目線でこの4点を明確に答えようとすれば、法令のどこかに抵触してくるはずだ。逆に事業者目線では、ビジネスモデルがうまく組み立てられなくなる。つまり、なんらかのギャップが存在し、そのギャップを解消するためには法令改正が必要となる(個人的には抜け道があると思っているが)ことになる。

最後に、四国のお遍路でQRコード決済が導入されたことを挙げておきたい。宗教といえば、伝統的でお堅いイメージがあるが、彼らとて時代に応じて変化している。遊技業界は常に最先端のテクノロジーを導入してきた歴史をもっており、「常識を疑う」ことができないことはないはずだ。

筆者紹介:伊藤實啓(いとう みつひろ)
株式会社遊技通信社 代表取締役。1970年生、東京都出身。北海道大学大学院経済学研究科修了後、財団法人余暇開発センター(現、公益財団法人日本生産性本部)にて「レジャー白書」の編集およびギャンブル型レジャー産業の調査研究に携わる。祖父が創業した株式会社遊技通信社に入社し、先代社長であった父の急死に伴って代表取締役に就任し、現在に至る。一般社団法人余暇環境整備推進協議会 監事、中小企業診断士および認定経営革新等支援機関、国士舘大学経営学部非常勤講師としても活動しているほか、静岡県立大学大学院経営情報イノベーション研究科博士後期課程にも在籍中。

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